東:この小説を書いたきっかけは筑摩書房の編集者に小説の連載をしてみませんかと声をかけられたことなんですが、なぜか、なにか怪談みたいなものを書きませんかと提案されたことがきっかけだったんです。
眞鍋:怪談ですか?
東:そうです。死んでしまった人が何かこの世のモノにとりついて、モノの視点で世界を眺めてみる。死者の視点といっても幽霊ではなくて、もう命の無いモノでこの世を眺めたらどんなふうになるかということを考えたのがきっかけですね。それで、「ロージン」と「トリケラトプス」という短編を試しに書いて編集者にいったら、もうすぐ連載しましょうということになりまして。
眞鍋:すぐですか。
東:そう、すぐ連載が始まって。「Webちくま」での連載だったんですけど、2週間にいちど更新していました。そして半年くらい更新し続けて。一気に書き上げたという感じだったですね。
眞鍋:ネットですね。
東:ええ、Web連載です。
眞鍋:月2回、大変だったんじゃないですか。
東:大変でした(笑)。実は、小説の連載は初めてだったんです。一編書き上げたらすぐに次の締切がきてしまうので、毎日のように亡くなった人のことを考えていました。
眞鍋:精神的には辛かったんじゃないですか。
東:ええ、書く方には精神的に辛いものもありました。すべて亡くなった人の一人称で書いていったので、その人の気持ちに寄り添いつつ書いていったので、気持ちが引きずられて。でも、辛い小説にするんじゃなくて、モノになってみつめるという設定で、客観的な視点で死を考えるっていうものにしたかったんです。いろいろな「もしも」を味わえるように、一回ごとの主人公の年齢とか性別や状況を様々に設定して、それぞれの人の心に寄り添うような形で書いてきたつもりです。
眞鍋:最初、怪談でオファーがきてこういう形になって。でも、そんなにおどろおどろしくないというか。
東:そうですね、なぜかそういうふうになって。怪談をふられて死を考えたわけですが、別に怖いものを書こうとは、そのときは思わなかったんです。ただ、生きてこの世を眺めるのと、モノになってこの世を眺めるのとはどうちがうのかなと、書きながら考えてみたかったんです。
眞鍋:この小説には死んだ人が様々なモノになってこの世を眺めるんですが「とりつくしま」のモノのアイデアはどこから?どういう発想で書かれたのか興味深いんですが…。
東:基本的には、身近なものの中からですね。いろいろなきっかけがあって、たとえば「ロージン」は一番自分に近い設定で中学生のお母さんにしたのですが、わたしもそのくらいの子どもがいた母親だったので。実際に野球をやっていた息子に、もしお母さんが死んだとして、息子の試合中に野球の道具にとりつきたいんだけどずっといるものじゃなくて途中で消えていくようなものがいいなという抽象的な相談をしたら、それならピッチャーのロージンがいいんじゃないのということで。その時に初めてロージンという名前を知りました。他には、「トリケラトプス」のマグカップは実際に家にあったものですし、青いジャングルジムは私の息子が一番好きな風景としてミクシィのアイコンにしていましたので、男の子ってこういうのが好きなのかなと思いながら書きました。
眞鍋:僕は最初、2007年の雑誌ダヴィンチの「今月の絶対はずさない!プラチナ本」のコーナーでこの作品を知ったんです。編集の人みんなが褒めていたので是非読んでみようかと。
東:ダヴィンチの編集者が全員一致でないと「今月の絶対はずさない!プラチナ本」にならないということで、とても嬉しかったです。
眞鍋:最初読んだときはそうでもなかったんですが、日がたつにつれて舞台化をしたいなと思うようになりまして。
東:ありがとうございます。
眞鍋:小説なんですけど一つの歌というか、音楽を聞いているみたいな感じでもあるし、そういう小説にあまり出会ったことがなかったので、舞台化してみたらどうなるのかな、と。最初はメールでお願いしんたんですよね。連絡先がどこをさがしてもメールアドレスしかわからなくて…
東:ホームページのアドレスから届いたメールを見てちょっと驚いたんです。
眞鍋:そうですか?
東:シェイクスピアを上演したりする新劇の老舗の劇団(俳優座)が、私の小説の舞台化のオファーというのはとても意外でした。
眞鍋:最初は断られるかなとも思ったんですが、承諾していただいて。この小説を読んだのは2007年だったんですけど、震災以降の世の中でなにを舞台にしたらいいのかと考えた時に東さんのこの小説がいいかなと…。
東:不安はありませんね。書いたときは舞台化とかそういうのは全然考えないで書いたんですけど、この本が出てすぐに、何件も朗読をしたいという申し出があったんですよ。意外だったんですけど、本当にいろいろなところから申し出があって、ラジオドラマになったこともありますし、そういう需要がある話だったのだな、と理解しました。一遍が約20分くらいで読めると言うこともあると思うのですが、これを声に出して読みたいという人が、朗読のサークルの方からプロのアナウンサーまでいろいろな形で楽しんでくれているようです。
眞鍋:東さん、ご自分でも読みますよね。俳優経験も。
東:ええ、私も自分でも朗読をします。短歌も声を出して読むことがあります。私は、学生時代に演劇に関わったことがあって、俳優もやりました。短歌をする人は演劇にも関わっている人がなぜか多い気がします。短歌は一人称の文学と言われているのですが、一人で語るというのが芝居のモノローグに似ているせいでしょうか。同じ短歌作品でも、声に出して読むと、読む人の個性とかその人の声の質とかで随分違って聞こえるんですよね。
眞鍋:舞台でもそうですね。演じる人によって全然違いますから。
東:舞台で実際に生身の俳優さんが声を出し、どう演技をするのか、どう舞台化するのかそちらのほうが楽しみです。3次元になったときに、どんな迫力が加わった舞台になるのか…。
眞鍋:この小説には「とりつくしま係」とか、先ほどお聞きしたように動けないモノになってしまう死者が出てきますよね。「とりつくしま係」なんかはいろんな形状で出てきて人間の形をしていない。映像とかで視覚的にもいろいろと表現出来ると思うけど、やっぱり俳優でやりたいと思っています。死んでしまって、生きている者には届かない心の声をどう舞台で身体的に表現するか、難しいとは思いますが舞台化にあたっては演劇の可能性や表現を広げていく作品にしたいと思っています。特にいままで自分で読んだり、耳で聞いていた人には(この舞台を)観なきゃ良かったと言われないようにしたいと思いますね。
東:今回、舞台空間の自由のきく劇場を選ばれたとか。
眞鍋:シアタートラムですね。俳優座でも初めて使う劇場ですね。200席ちょっとの劇場なんですけど舞台空間を自由に使えるというか。今度はマイムの方にも参加していただいて、小説に出てくるモノをどう身体的に表現できるか可能性は大きいと思っています。
東:言葉には書かれていない部分が、舞台の上でどんどんふくらみそうで、とても楽しみです。
眞鍋:是非多くの方に観てもらいたいと思っています。
東・眞鍋:劇場でお待ちしています。